熱田丸 日本郵船 島崎藤村「海へ」から戦前欧州航路 船長 愛媛菊間町出身

島崎藤村著「道遠し」上巻の中に「海へ」という欧州留学時往復船上
の紀行文を読んでいる、帰路は熱田丸に乗船して帰国する、熱田丸の
歴史を振り返っていると次の事柄に遭遇し、感動したので
以下ネットからコピーした当時の記事を掲載してみました。
昭和18年NHK放送された 記事を読んで涙腺が緩みました。
韓国の先年の船長と日本人の精神の差を痛感!時代は違うけれど・・・
日本の「海員道」を慮って「武士道」のごとく先人の魂を記したのです。
未亡人の精神にも頭が下がります。

ネットより抜粋
長崎丸が長崎港外で自国の機雷に接触して沈没をする際に、菅は船長として最後まで船橋にあって指揮を取った。菅は救出され、軍側の伝達不足が原因で長崎丸側の責任は無しとされた。しかし同船の死者13名と行方不明26名という惨事の責任をとって、3日後の5月20日に東亜海運長崎支店ビルの屋上で割腹自決を遂げた


「菅船長を偲びて」

●菅船長を偲びて
菅源三郎氏自決から1年後,ラジオで放送されたものです.

■菅船長を偲びて-海務院船員部長若林清作
今月の今日は昨年の五月十三日長崎の港外に於て、不幸にも味方の機雷に触れ沈没いたした長崎丸船長故菅源三郎氏の一年忌に当るので、同船長の申分なき人柄と大いなる勲を偲びつつ私が平素考へてゐるところの一端を船員諸君に話したいと思ふのであります。
故菅源三郎氏は諸君も巳に知る如く長崎丸沈没の全責任を一身に負ひ、長崎丸沈没についての一切の後片付けを了うした上烈々の遺書を残し、長崎丸が沈没してから一週間目の今月の今日午前八時、東亜海運株式会社長崎支店の楼上に於きまして、従容自若天地自然に帰するやうな落着いた境地で、古武士切腹の型に做つて自刃をし、六十歳を一後として若葉薫る長崎港頭に露と消えたのでありますが、併し当時の同船長の行為と遺書により認められますところの至誠一貫責任観念の強く烈しきこと、覚悟せる死に直面しながらも平常と何等異るとこらなかりしこと、公私の分別極めて明かでありまして報恩感謝の念の満ち満ちてゐること、妻子に対する心やりの細かく美しきこと等或ひは鬼神を泣かしめ、懦夫を立たしめ、世人をして感動措く能はざらしめましたことはなほ、吾人の記憶に新たなるところでありまして、或ひは大楠公を或ひは乃木将軍を或ひは佐久間艇長を或ひは先般平出大佐の放送にありました山口多聞中将を偲ぶが如き心地がするのであります。この人間菅源三郎としてまた船員菅源三郎としての崇高なる偉大さは何処から生れたのでありませうか、私は決して一朝一夕のものではないと信ずるのであります。
人間に不断の修養平素の心掛がなければどんなに機会が与へられましても、仮に「己れの生命を絶つこと」は出来ましても、至誠が天に通じ天地と共に永遠に生きることは出来ないのであります。
私は菅船長の遺書を読みました時涙が止めどもなく流れますのを如何ともすることが出来ませんでしたし、また昨年海の記念日に同遺書が銀座松坂屋に陳列せられましたが、同遺書に足を運ぶ市人引きも切らず、しかも何れも遺書に引きつけらるるが如く目頭を熱くしない人は一人として見受けられなかつたのであります。
読む人見る人各ゝによりましてその感動も異なることではありますが、私は菅源三郎氏をしてかかる至誠の人とならしめました第一の要件として同夫人、令息、令嬢宛の遺書の中に
「御前達に対しては如何にも不憫に堪へず真に断腸の思ひがするけれ共…中略…父は潔く日本海員道の為に一身を捨てる云々」更に自刃の前の日夫人宛書き送りました手紙に「お前たちの為には生きて居てやりたいのは山々なれどそれでは我が日本帝国の海員道が相立たぬ」とあります。この海員道、当に身を以て海員道を守り海員道に殉ぜんとしてをられた心組みをあげねばならぬのであります。
管船長は海上生活三十有余年寒暑風雪艱難辛苦と闘ひながら、只至誠の二字を以て船員としての本分即ち船員はかくあらねばならぬもの、船員はかくせなければならぬものとその信ずる道に精進せられたのでありまして、徒つて菅船長の一挙手も一投足もその行ひの凡ては公のことたると私のことたるとを問ひませず、死を以て殉ぜんといたしました菅船長のいはゆる海員道の表れでないものはないのであります。然らば菅船長をしてかくもけだかく、かくも偉大ならしめた海員道とは果して如何なるものでありませうか。
菅船長は人となり地味実直幼少の頃より言葉少なくまた世にもてはやきることを好まざる人でありました。この菅船長の性格なり考ヘなリは次の一事を見ましてもよくうながはれるのであります。
昨年某雑誌記者が菅船長の伝記を編纂しようとしてその資料を得る為に神戸にあります菅家を訪問いたしたるところ何れも失敗いたしてをります。菅船長夫人は
「主人は伝記を世に残すやうな立沢な人ではありませんでした。ことにこの度のことは、全く主人の過失のいたすところで、御国の為には大切な船を沈め更に多数の人命まで失つてをります。その方々の英霊に申しわけがないばかりでなくその遺族の方々を思ふと身も世もありません……中略……私達も主人の心を心として世を忍び生きてをるのであります。況して主人の伝記を出すといふやうなことは、故人の生前の考へから申しましても相反することであります。」
ときつばり断り同記者の熱心なる説得もなんともいたし方なかつたのでありますが、この夫人の言葉を以て見ましても、背船長の人となりの奥床しさが極めてはつきりと画き出されるのであります。
このやうな次第で菅船長三十右余年の海上生活はその性格の通り地味にして実直、当り前のことを真剣に身を以て実行し通さんとする努力の連続であつたやうで、取り上げるやうな特色もこれといふ逸話の如きもありませぬ。徒つて菅船長の考へられし海員道なるものは、長崎丸の遭難から自刃せらるるまでの約一週間の間の同船長のとられし態度とその遺書とに最もよく表れてゐるものと思ふのであります。
長崎丸遭難後の菅船長は覚悟の死に直面してをりながらも一点の乱れも見られず、平常心も失はず、長崎丸沈没に関する後始末を実に立派に処理いたしますると共に、高木海軍武官、文亜海運清水社長、同じく小方海務課長また長崎支店長、鍋島長崎丸一等運転士、やすゑ夫人、令息、今嬢に対し墨のあともいと鮮かに遺書六通をしたためてゐるのであります。
この覚悟の死に直面しながらも寸分も平常心を失はず、徒容として生死を超越しをりしこと道にその何れの遺書にも見らるる責任感の強烈なことは全く常の人の及ぶところではなく、菅氏三十余年の黙々たる修養の結晶であると確心【ママ】するのであります。更に清水社長に対し「小職の軽挙により重大結果を惹起し、御国に対し会社に対しまた痛しくも惨禍に遭はれし船客及び部下職員に対し御詫びの申し上げやう御座なく候本件の概要は報告書の通りに有之小職のなすべき諸手続もほぼ片付き…云々」と事件を起せし不注意を詫びまたまた沈没に関する諸手続の終了をも報告し長崎支店長に対しては
「船と運命を共にする能はず船体沈下と共に海中に入りながら浮び上るに任せ生き延びたるは不覚に候へども数日間の謡命を借りて事後の処理に営るを得たるは必ずしも恥ずべきことにあらぎるかと自ら慰め居り候
今回は県知事閣下始め中略…言語に絶する御迷惑を相掛け何とも御詫びの申し上げやうも御座なく候…中略…また本日は店内を汚し申訳御座無く候…中略…追而小生妻子三名昨夜特急にて神戸出発すべき旨入電有之多分本日当地着のことゝ存じ候何分よろしく御引廻し願上候」と坦々として何にもこだわることなく自分の所信を抗ベ迷惑をかけたる人々に感謝し支店内を汚すべきことを詫び更に菅氏の身を案じて急ぎ長崎に馳せつけんとする妻子のことまで細々と依頼し
鍋島一等運転士に対しては
「…前略…小生刀も短剣も失ひ剃刀にて決行甚だ不体裁なれども何事も代用品の時節致方なく候…中略…小生例の引伸写真昨日入手亀屋の部屋に有之候貯金通帳再度交附手続は別封御面倒乍ら御持参可然御願申上候」とありこの場に直面しつつなほこの余裕ある態度にいたりましては、加何に菅源三郎氏が偉大であつたか、また当時菅氏の心境如何に澄み切つてゐたかを知ることが出来るのであります。
最後にやすゑ夫人及び令息令嬢に対しては先程述ぺました「日本帝国の海員道が相立たぬ」と申し送りし外に
「殊に祐吉(菅氏の一人息子であります)は学業半ばなれど一層気の毒に堪へぬ、さりながら何とかして卒業して呉れ、そして母や姉妹の将来を父に代りて扶けて呉れ四人共一時は悲歎にくれるだらろうが 【ママ】かと気をとり直し互に相慰め相励まして奮闘努力し我が家の再興を計つて呉れ……中路……この事件については当地に於て高橋支店長外各位竝に軍部や県当局の諸官に対し多大の迷惑をかけたるにも拘らず深く御同情に預り感謝に堪へぬ」と遺書してあります。
正に櫻井の駅に於きまする楠公父子の決別を思はしめ、更に家人にまで関係者に感謝すべきを述ぺたるにいたりましては、菅氏の底相れぬ人柄の床しさに自ら頭が下るのであります。
かく考へてまゐりますと菅源三郎氏が黙々とてその本分に精進しつつその心の底に深く刻み込んでゐた海員道とは如何なるものでありましたかは自ら掴み得るのでありまして、極めて悠久にして高遠なる理想ではありませぬ船員はかくあるべきもの、船員はかくすべきもの、船員はかくすべからざるもの更にその根本であります。日本臣民としての道と死力を竭して実行いたしますことが、菅氏の海員道に対する観念であつたやうであります。この海員道の実践の連続と海上生活といふ特殊の環境が菅氏をしてかくも偉大ならしめたものと信ずる外考へやうはないのでありまず。この平凡の実践は極めて困難なことであり非凡なものであります。われわれの心掛くべきことは高いところにあるのではなく自分の足下にあるのであります。
時局愈々決戦対勢となり、船員諸君の活動に俟つところ益々大なりつつあります。船員諸君もまたこの重大なる役割を一深く認識し連日連夜奮闘努力、海運報国に挺身しつつありと確信し実に感激に堪へぬ次第ではありますが、故菅源三郎氏の一周年に相ひ当りますので同氏の偉烈を偲びつつ海員としての本分の遂行平凡の実行が如何に人をして偉大ならしめ得るかを恩ひ愈々船員としての服務に精進せんことを希ふ次第であります。(五月二十日放途)
社団法人日本放送協会/国策放送/昭和18年7月1日号

BACK
関連記事

コメント

非公開コメント

プロフィール

プルートパパ

Author:プルートパパ
プルート:♂2016年12月12歳になりました体重22キロ 覚えの早い知能派 生まれは神奈川県平塚市 野菜大好き ,スポーツタイプ 走り、泳ぎ、ジャンプ、フリスビー大好き 特技横とびジャンプ、ドッグキャッチされること大好き、新芸(ロール、脚 くぐり)など

プルートパパ:ボーダーコリーが大好き
ジョギング、テニス、スケッチ、油絵、読書(松山坊ちゃん会漱石研究会理事活動)
好奇心旺盛な男性。                  
家族 :つれあい

   神戸&横浜に息子在住
   孫男2人,女2人

   
            

最新トラックバック

検索フォーム

Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

QRコード

QRコード